日ごろGrasp!をご支援頂いている皆様に、Grasp!期待の新人セールススタッフ/キャリアコンサルタントを紹介したいと思います。
アパレル企業を中心に日本とベトナムでの勤務経験を持ち、ベトナム語も堪能な彼女のベトナム就職への想いとGrasp!での新しいキャリアチェンジへの意気込みをインタビューしました。
点と点が線に - ファッションとベトナムが結ばれた経緯
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熊澤:
今回、関根さんは2度目のベトナム生活になりますが、最初にベトナムに来られた経緯を教えてください。
関根:
最初にベトナムに興味を持ったのは小学生くらいの頃でした。ニュースでデザイナーの山本寛斎氏がベトナムでファッションショーを行った際のドキュメンタリーを見て、子供ながらに強く印象に残りました。
そこに出ていた「社会主義国・ベトナム」という言葉は子供ながらにちょっと怖かったのですが、実際にテレビに映っていたベトナム人はそんな事無かったことを覚えています。
通常ならパリやニューヨークなどでファッションショーをするのに、そのような土地では無くベトナムを開催地に選んだことが気になっていて、今思えばその頃からベトナムに関してうっすらとした興味を持っていたのかもしれませんね。
大学では人がやっていないことをやってみたかったんです。専攻は国際開発学部でアジア太平洋地域に関して勉強をしていたのですが、その際、第二外国語を専攻する必要がありました。当時、大学では中国語や韓国語が人気でクラスに入るのは選抜制でした。
対してベトナム語は選択する学生も少なく、すぐに入れる状態でした。そのような状況だと、自分が他人と比較されることも無いだろうと思ったのと子供時代の興味とリンクをしたため、ベトナム語を専攻しました。
熊澤:
大学時代にファッション関係の勉強もしていたんですか?
関根:
特にしていませんでした。ファッションに興味を持ったキッカケは、大学での国際開発学の勉強の一貫でアジア各地を旅した時に民族衣装などに興味を持ったことですね。
また、旅行の際にアジアがこれから来る、という肌感覚はありましたね。
そこから、”ファッション、アジア、ビジネス”が繋がりました。
熊澤:
大学卒業後、就活はしましたか?なぜ・どのように大学院に進むことを決定しましたか?
関根:
他の学生同様、大学在学中に就職活動をして説明会に行ったり面接を受けたりもしてたけどあまりピンと来なかったんです。それらの会社で働いてる自分を想像出来ませんでした。
将来に関して考えていく中に、今就職するのではなくて、それ以外の学びが必要と感じ、大学院という選択をしました。
熊澤:
大学卒業時の就活のテーマは?
関根:
アパレル関連ですね。でも一次面接まで進んで辞退しました。
ファッションをやりたいと思っている人は、基本的に自分の好きな服を着たいと思っているんですよ。なのに、説明会や面接会場ではみんな同じスーツを着ていることに疑問を感じていました。
訪れた企業説明会では面接会場も兼ねていたので、「面接に興味があればこのまま残ってください」と言われてもそのまま帰りました。
開場でそのまま残ってる人を見て、「本当に残りたいと思ってるの?」と疑問に感じました。働きたいと思える企業が無い中で、「こんな中途半端な気持ちで残っても・・・」とピンと来なかったんです。
それで就活はそのままフェードアウトし大学院に進学し学びを深めることを決意しました。
熊澤:
大学院ではどのような事を学んでいたんですか?
関根:
ファッションマネージメント・小売り、マーチャンダイザーを目指すコースを専攻しました。日本では新しいコースで私は3期生目でした。そこで修士号を取得しました。
大学院ではベトナム語は勉強していませんでした。
大学院時代、将来はアパレル業界に行くと希望はしていましたが、自分の店を持つ・オーナーになる、ということには興味は無く、ものづくりの現場・工場などの物を作る側で自分が何かしたい、と思っていたので生産管理の仕事をしたかったんです。それは明確に決まっていました。
大学院の授業で学んだ、”どう売るか?” ”どうやったらお客さんの心を引けるか?”ということはなんだか嘘に思えたんです。
なぜなら、現場の事を知らずに物を売れるとは思えませんでした。ものづくりの現場を知らずに、商品と知識だけでは販売員は出来ないと思いました。
アパレル業界に対して、業界外の人からすると派手な業界のイメージや”ファッションはアート”などと言われることがありますが、そういうものも含めてアパレル業界のビジネスなんだと思います。でも、そういう派手なイメージにはピンと来なかったんです。
熊澤:
大学院を卒業して、就職活動はしていたんですか?
関根:
就活はしました。
でも、4年制大学卒業後に体験した就職活動とは全然違いました。
面接官の態度が全然違ったんです。
面接では、”文系大学院卒=社会に出るのが遅れた人”という評価を受けたように感じました。
一度、某工業用ミシンメーカー企業の説明会兼面接に行った際、面接官に、
「あなたみたいな人は社会に出るのも遅くて就職なんて出来ない」とハッキリ言われたんです。
今思えば圧迫面接だったのかもしれないけど、私が大学院で学んできたことを何も知らずにそんなことを言われて頭にきて、
「こんな会社では働きたくありません!結構です!」と面接も半ば、開場を後にしました。
開場を出て会社の前で会社資料をびりびり破り捨て、
”就活やーめた!こんなこと言われて傷つくなら、こんな気持ちになってまで就活しない”と決めました。
そんな流れでベトナムに遊びに行こう!と決めたんです。
ベトナム旅行の情報をネットで探していた際に、”ベトナム・アパレル・女性・募集”と出ていたのが目に留まり、何も考えずにそのまま履歴書送りました。
しばらく連絡は無かったのですが、でその会社の責任者が日本に来た際に面接に至り、
ホーチミン市にあるアパレル業界専門コンサル企業に採用され、ベトナムに渡る事になりました。
初めての仕事、初めてのベトナム就職
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熊澤:
大学院卒業後、日本での就職活動は中止してベトナム旅行へ行き、偶然見つけた求人募集に応募し、ベトナム就職のチャンスを得た関根さんですが、最初に就業したアパレル系コンサル企業ではどのような業務を担当していたんですか?
関根:
私が勤務していた会社は、現地では自社工場などは持たず、日本から依頼された案件を現地のローカル工場に生産委託しており、私はその生産管理やウェブサイトの運営をしていました。ウェブサイトの記事の執筆のため、ベトナム各地の工場を巡って生産ラインなどの取材もしていました。
大学院卒業後、初めての仕事がベトナムのアパレル企業だったので自分の今までの経験や知識を活かせる場ではあったのですが、社内言語はベトナム語でしたし、社員同士は仲良かったのですが、ベトナム人スタッフの退職も後を絶たず、会社に残ったスタッフの仕事量がその分増えていき、苦労しました。
私自身、大学ではベトナム語を専攻しておりましたが、大学院では全くベトナム語に触れない日々でしたのでベトナム語はすっかり忘れておりましたので、右も左も分からず会議や商談に付いていくのに必死でした。
そんな人間関係やギスギスピリピリした雰囲気の中でのストレスもあり、一年ほど勤務して退職しました。
熊澤:
初めて就いた仕事がベトナム語での業務とは大変でしたね。その後、業界未経験の中、ホーチミン郊外で製造を行っている日系アパレルメーカー企業さんに入社されましたね。
関根:
はい。その会社では、最初受注課に所属し、日本からの受注管理を工場に流す業務を担当していました。
オーダー内容を精査する部署で、勤務半年程でマネージャーに昇進しました。
昇進とともに受注課から品質課に異動しました。そこでは工場のラインスタッフとワーカーのマネージメントなどを2年ほど担当していました。
熊澤:
子供の頃ベトナムに興味を持ち、大学ではベトナム語やアジア情勢を学び、大学院ではアパレル業界の勉強をしていた関根さんですが、ご自身の経験やスキルをベトナムのアパレル業界で活かすことが出来たことに対して満足はされていましたか?
関根:
満足感・充足感はありました。夢がかなった実感がありましたね。
転職後は、中規模企業なので組織としてそれぞれに業務も割り当てられていたことで、自分の事が仕事を通して見えるようになってきたように思います。
海外の工場でものづくりに携わり、マネージャーにもなれたし昇給も出来、忙しくも満足はしていましたが、一方、ある種の個人的な問題意識は抱えていたんです。
熊澤:
それはどのようなものですか?
関根:
仕事量がどんどん増え、最終的には受注管理・品質管理・商品企画を兼務していたのですが、自分自身よく体調を崩していましたし、周囲のスタッフの一部が退職してしまう状況でした。
自分のキャリアとしては伸びていたと思っていたけど、自分自身の健康や周りの状態が良くなく、少なくないストレスを感じながら仕事をしており、楽しめきれていないところがあったんです。
自分の生活水準は思ってた通りに良くなってはいったけど、それと引き換えにどんどん自分自身が崩れていく状態でした。これは何か違うぞ、と感じるようになりました。
体調が悪くなると後ろ向きな気持ちになってしまい、その時は仕事をするのが辛かったですね。
そんな中、商品企画課を担当していた日本人駐在員が帰任になり、受注管理・品質管理に加え、商品企画も兼務になるなど、更に状況の変化がありました。
すでに部署を2つ掛け持ちしておりましたが、商品企画はアパレル専門性が要求されるため多少社歴を積んでいた私へ3部門の兼任の依頼があり、お受けすることになりました。
熊澤:
複数部署の兼務をというのは現地採用者に時々起こることですが、3つの部署の掛け持ちでは心身へのストレスは重かったのでは無いでしょうか。
そのような御自身の中で、今後についてはどのように考えていたのですか?
関根:
結果的にはその3つの部署を兼務して1年後に退職しました。
実際は商品企画を兼務する前の時点で転職を意識し始めていたんです。
ですが、その頃担当駐在員の帰任が決まり、その方の担当業務が私に巡ってきました。
転職を意識してはいたものの、商品企画はものづくりの中核なので巡ってきたチャンスとして”やってみようかな”と思ったんです。
商品企画の仕事をすることで、工場で働いてきた意義があると思ったからです。もしかしたら何か大きな事が出来るかも、と思いましたね。
そんな背景があるのですが、多忙ゆえ体調を崩し転職を決意しました。
日本のアパレル業界での仕事。そして再渡越。
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熊澤:
17年末に退職した後は日本に帰国することになったんですよね。
関根:
体調を崩したことは退職のキッカケではありますが、その前から辞める気持ちはベースにありました。
大学院卒業後、日本で働いたことが無かったので引け目を感じながら仕事をしていたところがあるからです。度々、私の業務遂行の仕方などを本社の人から指摘される事があったためです。
その時は、何か新しい可能性の道を探していましたね。”もうベトナムじゃないかもしれない。日本で働くという事を知らないから一度日本で働いてみたい”と思う気持ちが強くなっていきました。
ですが、退職が決定してもベトナムにいる間は転職活動はせず日本に帰国しました。
ベトナムでの生活が多忙だった事への反動か、日本に帰国後は焦らずゆっくり仕事を探そうと思っていました。
日本ならビザや住むところの心配もしなくて良いですし、バイトでもいいや、と思ってました。
周りの人からは「今の日本でこの年齢の人は売り手市場だから、休まないで就職活動頑張った方がいい」と言われていたのですが、自分は正直休みたい気持ちでした。
自分の時間を持ってゆっくり働けるような状態が良かったので正社員として働くのは嫌でした。
そのような状態であっても、自分のペースで就活をし、2社面接に行きました。
そのうちの一つ、オーガニックコットンを扱う紡績・繊維企業にて生産管理担当として働くことになりました。
こちらは工場ではなく、東京のオフィスで働いておりました。
満員電車に揺られながら東京都心で働いていた事で日本にいることを実感する日々でした。
仕事を通して楽しかった事や学んだ事も沢山あったのですが、勤務初日からここで長く働き続けることは考えられませんでした。
日本のアパレル企業は非効率的な古いやり方をしている事が多く、取引先とのやり取りも2017年当時でも電話やFaxが主でしたし、業務時間内に軍隊のような朝礼が30-60分程毎日行われる事など、どうしても馴染めませんでした。
生産性が無いものづくりをしている事に驚きました。それは私には、仕事に100%集中出来る環境とは思えませんでした。
日本のアパレルやビジネスを学びたかったので帰国したものの、自分には合わず、やっぱりベトナムの方が合うかな、と思うようになりました。
正直、その時は先々のキャリアまではしっかり見据えておらず、とにかく現状から抜け出してベトナムに戻りたい、という気持ちしかありませんでした。
今までアパレルの仕事にこだわっていたけれど、特定の業種や職種にこだわらず、とにかくホーチミンに戻りたかったんです。
そんな中、知り合いの紹介でレストランのスタートアップスタッフとして再渡越することになりました。
キャリアコンサルタントとしての新しい挑戦
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熊澤:
レストランが無事開店し、そちらの業務を離れ、Grasp!でセールススタッフ/キャリアコンサルタントとして入社する事になった関根さんですが、Grasp!では社内のポジションや勤務形態に関わらず、一人一人が大切にしている事・何をしていきたいのか、を重視しています。
関根さんが今、大切にしているものや今後何をしていきたいのか、聞かせてください。
関根:
今後長期でベトナムに住むことは決めているので、地に足をつけてベトナムとしっかり関わって自立して、自分の能力を存分に発揮していきたいですね。
先日、過去の日記を見たら、2019年の目標は”ベトナムのビジネスで新しい自分の可能性を広げる”と書いてあったんです。
Grasp!に入社して、自分の大切にしているものや自分の能力、価値は何だったか?を考え直す良いキッカケになりました。
熊澤:
Grasp!で新しい働き方・新しいキャリアを実践していくことになった関根さんですが、そのような考え方はベトナムに来てから身に付いたんですか?それともご家族の影響ですか?
関根:
家族は割と一般的な日本人的な考え方でした。
私は長女なので母から「長女だから、お姉ちゃんだから」と言われる事に反発心を抱いていたのですが、母には言えませんでしたね。でも常識に対して疑問を持つ視点や考えはその頃に身に付いたものだと思います。
前職の日本での仕事で感じていたのは、今の日本は他人に対して不寛容・攻撃的になちがちで、私のようなタイプの人は入りにくいと感じました。
特に感じたのは、その当時働いていた企業は、”日本でしかものづくりをしない(Made in Japanにこだわる)”というアイディアでした。
それゆえ、工場の現場で商品を作っているのは外国人であることは認めない傾向でした。
工場は日本にあっても、実際の作業をしているのは外国人の労働者なのに、取材時などには彼らを写真に写すな、との指示があり、とても違和感を感じました。
ですが、そういう違和感を昼食の時に同僚に話したりした時に温度差を感じたんです。
彼らはそういう状況に違和感を感じない、または感じてもそれを声に出そうとはしない、休日出勤やタイムカード切れないは当たり前、それを疑問にも思わない。
そんな環境はみんなが意地悪になってしまう環境なんですよね。みんな満たされていなくて気持ちの余裕が無いんです。
会社の意向に沿えない人は「変な人」みたいなレッテルを張られるような雰囲気で。
みんなが一杯一杯な環境なので、いちいちそんなことを疑問視していてはやっていけない雰囲気でした。
それに、他の社員は「ここでしか仕事がない」「他の会社では適用できない」と思ってる人が多かったんです。私はそこにとても疑問に感じていたんです。一つしか方法が無いわけでは無いのに、その他のやり方を探さない、ことに疑問を感じる子供でしたね。
なので、転職やキャリアチェンジなども、自分の気持ちに従って動くことが出来たんだと思います。
熊澤:
日本の多くの企業で蔓延している状態ですね。
そういう中で仕事をしている人は、自分を大切にしているようで実際は、自分を粗末にしているのに気付いていないんです。
その仕事は他の人でも出来る仕事、と考えられないんですね。それは自分自身の過大評価でもあり過小評価し過ぎでもあります。
自分たちがしている仕事が全て正しい、という考え方は危険。他が見えなくなってしまいますからね。
でも社員の多くはそれに気付いてないし会社は全然社員を大切にしていませんね。
そんなことを考える余裕も無くなってしまうのかもしれませんね。でも、嘘ついてまで仕事をしていくことはないですね。
こういう人たちが今後顕在化していくだろうから、そういう人に対してキャリアカウンセリングしていく事が必要になるでしょうね。
日本でないと経験出来ない知識は確かに多いけれど、日本のビジネスの現状には、非合理的なルールや人間関係、マナーなど決まり事が多過ぎる。そして、全ての人が馴染めるものではないのに、圧力があるため、それに意を反する者は精神的に排除されてしまう。
排除されないためには嘘が必要になってしまうこともある。そんな環境が今の日本の現実な気がします。
こういう視点を持ってベトナムにいるのは大切。考えるだけではなく、行動しなければならないし、勇気・工夫・発想の転換も必要。でも日本にいたらきっとそうはならなかったでしょうね。
だから、日本から物理的に移動する事は価値があるし、後々意味がつく可能性があると思いますね。
関根さんの場合、ベトナム語を勉強したこと、ベトナムに遊びに行った事で仕事が見つかった訳ですが、周りの人にベトナム転職を勧めますか?何が良いと思いますか?
関根:
私の場合、ベトナムにいると見えなかった自分が浮き彫りになってくるので自分と向き合う事が出来るので、ベトナムに来て良かったと思うし、日本にいるよりも自分にフィットしている気がします。
また、ベトナムは比較的治安が良いので、日本人が海外生活をしていくにもオススメできますね。
熊澤:
海外にいると、日本にいる時よりも自分と向き合う必要が出て来、自分自身が浮き彫りになってきますよね。
今後は日本に限らず、会社という組織としての枠組みに頼る、という仕事の仕方は終わりを迎え始め、雇用関係だけでないキャリアの歩み方を考えないといけなくなると思います。
ベトナムで価値を発揮していくためには、自分が自立するために実感を持って仕事をしているかが非常に重要です。
今回のGrasp!へのキャリアチェンジは、全く新しい業界であり、勇気が必要だったかと思います。新しい場所に一歩踏み出した関根さんがこれからGrasp!でしていきたいことは?
関根:
正直に言うと、今も営業職には苦手意識を持っています。でもそこに敢えて入っていこうと決めたのは、営業職はモノづくりに似ていると思ったからです。
お客様に営業していくことはクリエイティブな作業に似ているな、と思ったので、わざわざ苦手だと思っている事にトライしたいと思いました。
私はライフワークとして、写真の撮影をしているのですが、新しい場所や何も接点の無い人の写真を撮ることは、何も接点が無い企業にアプローチしていく営業職に共通することだと思い、それを深めていきたいと思ったのがキッカケです。
Grasp!でその苦手意識の壁を突破していきたいです!
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