「ベトナム人ビジネスパーソン論」に関する一考
- Grasp! Vietnam
- 2025年12月28日
- 読了時間: 7分
――定型化の危うさと、語られない本音、そして歴史的心性の差異

弊社はベトナム国内で9年にわたり事業を行っております。
代表を含めた弊社社員は弊社創業前よりベトナムビジネスに関わっているものもおり、最長で15年以上の経験者も在籍しています。
また、弊社お客様である日系企業や転職を志望する個人、その他様々なベトナムに関わる日本人の方々とお話することがあり、そうした方々の多くがベトナムに関する見識を持っておられます。
そんな中で定番の語りとして
「ベトナム人は真面目だ
「ベトナムは親日である」
「ベトナム人エンジニアの管理手法」
みたいなお話も脈々と語り続けられています。
そこでは「給与よりキャリアを重視する」「自由や信頼を大切にする」といったベトナム人ビジネスパーソンやベトナム人エンジニアの特徴が語られ、そうした事象に対して理解ある姿勢や現場経験が強調されることが多い。一見すると、差別的意図などもなく、むしろ配慮に満ちた分析・論考のようにも見える。
しかし、こうした語りには、善意の装いの下に構造的な片手落ちと、無自覚な優越が潜んでいる。
ベトナム国内における日系ビジネスの歴史も30年を超え始めた今、こうした定型化された考え方をおさらいしつつ、自家薬籠中のものとすべく、批判的に考えてみました。
またひとつの仮説として、継続して見つめていきたいと思います。
1.「ベトナム人ビジネスパーソンとはこうだ」という定型化
たとえば、次のような断定的な表現を見かけます。
「ベトナムの若手エンジニアが給与以上に重視しているのは、『この会社で、どんなキャリアを積めるのか』という点。」
「ベトナム人エリート層にとって会社は、キャリアの通過点という意識が強い。」
ここで語られているのは、あたかもベトナム人ビジネスパーソン一般に共有された価値観であるかのように見えます。しかし実際には、都市部と地方、家庭の階層、外資経験の有無、世代差によってキャリア観は大きく異なります。
もちろん傾向を語ること自体が問題なのではありません。
問題は、個人差や社会構造を切り落とし、「国籍」という単位で人間を理解可能な類型に回収してしまうことにあるように思うのです。これは露骨な蔑視とは言えないですが、他者を管理・説明しやすい存在に変換するという点で、知的に粗く、危ういといえます。こうした粗さはこれまでは日系企業のベトナムにおける貢献・活躍やベトナムマクロ経済の安定成長下において、自他ともに許し・許されてきた点がありました。
2.「理解してあげる側/理解される側」という非対称性
また、次のような構文も度々繰り返されています。
「ベトナム人マネジャー・スタッフの考え方を理解し向き合うことで、想像以上のパフォーマンスを発揮してくれる。」
この表現が示す関係性はある意味、明示的といえます。
理解する主体:日本人経営者・管理者
理解され、適切に扱われる対象:ベトナム人管理者・スタッフ
しかし、逆の視点――ベトナム人側が日本企業や日本人管理職をどう評価しているのか――は、それほど多く語られてこなかったように思われます。
彼らは主体的に判断し、距離を測り、日本企業を値踏みする存在としてではなく、「適切にマネジメントすれば力を発揮する資源」として描かれている。
この日系企業に見られる典型的な非対称性こそが、差別とまでは言えませんが、優越が温存される構造がつい未だにそこここで見て取れるのです。
3.語られない本音①
「日系企業は、彼らにとってそこまで魅力的ではない」
ベトナム人ビジネスパーソンが日系企業をどう位置づけているかという視点。
現実的には、このような認識は決して珍しくない。
日系自体が企業は第一志望というわけではない。
理由は明確です。
給与水準は欧米・シンガポール系・中華系などの外資より低い
意思決定が遅く、裁量が小さい
日本語というローカルスキルがキャリアの可搬性を下げる
このためベトナムにおいても日系企業は、「最終到達点」ではなく、「安定した入り口」「次に行くための踏み台」として選ばれることが少なくないです。
にもかかわらず、一部の在ベトナム日本人ビジネスマンの語りは、日系企業は暗黙のうちに「選ばれる側」として描かれ、ベトナム人ビジネスパーソンは「理解され、育てられる存在」として配置される。この構図自体が、無自覚な優越意識を内包していると言えてしまいます。
4.語られない本音②
「企業や組織は、簡単には信頼しない」
ベトナム人ビジネスパーソンのキャリア選択の要因として「信頼」が重要な価値として繰り返し強調される事がよくあります。
「ベトナムの若手エンジニアにとって、上司とは命令する存在ではありません。自分を理解し、信じてくれる人。」
しかしここで語られる「信頼」は、かなり日本的に翻訳された概念である。実際の本音は、より冷静で条件付きです。
信頼は前提ではない。状況次第で、いつでも撤回されるものだ。
これは忠誠心の欠如でも、未熟さでもない。過去の植民地支配、戦争、社会主義体制下の制度不信、急激な市場化を経てきた社会において形成された、極めて合理的な防衛反応であるといえます。不信の歴史を語らず、「信頼を大切にする文化」として美談化してしまう点に、分析や経験を通じた理解の限界があるように感じます。
5.背景にある「信じる社会」と「信じない社会」
この齟齬を理解するには、日本とベトナムの歴史的心性の違いを見る必要があります。
戦後日本社会は、安保闘争や学生運動の敗北を経て、政治的に疑うことを放棄し、経済成長と安定を代替的価値として受け入れた社会といえます。国家と大企業は父権的保護者として機能し、「信じること」が合理的な生存戦略として内面化された。
その結果、日本型マネジメントは、
命令型
監視型
曖昧な評価
であっても機能してきた。信頼は獲得されるものではなく、前提として存在していたからです。
一方、ベトナム社会においては、国家や制度、組織は「容易に裏切る可能性があるもの」という感覚が合理性として内包・共有されて。会社に人生を預けないこと、撤退可能性を確保することこそが、現実的な戦略。
この差が、日本人とベトナム人のキャリア観・管理観の違いとして現れているといえます。
6.本当に問われるべき問いは何か
以上を踏まえると、問われるべきは「ベトナム人ビジネスパーソンの特性」ではない。
なぜ日本企業は全面的には信頼されていないのか
なぜ日系企業は踏み台になりやすいのか
なぜ「理解してあげる側」に無意識に立ってしまうのか
これらはすべて、日本側の問題である。
「ベトナム人はこうだ」という語りは、他者理解のようでいて、実は日本型マネジメントの限界や、日本企業の魅力度そのものを問わないための装置として機能している面があります。
結語
これまでの日本人によるベトナム人ビジネスマンに対する語り、管理手法についての考え方は
定型化
視点の非対称性
当事者の不都合な本音の欠落
という点において、無自覚な優越と理解の限界を抱え、思考停止してきた面があります。
※もちろん、常に現場の生を知り、深く・広くアップデートをし続けている方もおられます。
真に必要なのは、「彼らをどう理解するか」ではなく、 「なぜ彼らは日本企業を信用しきらないのか」 「なぜ日系企業は最終目的地になりにくいのか」 という自己批判的問いです。
それを欠いた理解は、どれほど丁寧であっても、結局は片手落ちのままに留まらざるをえないでしょう。
※弊社Grasp!ではベトナムにおける人材採用・転職・キャリア支援・人事労務に関するご相談・ご支援を承っております。
ぜひとも、お気軽に問い合わせいただけますと幸いです。

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