【3回シリーズ】ベトナムから考える異文化受容②「境界人(マージナル・マン)」はなぜ必要なのか〜共同体は誰によって変わるのか
- Grasp! Vietnam
- 8月3日
- 読了時間: 6分
更新日:19 時間前
第2回
「境界人(マージナル・マン)」はなぜ必要なのか
〜共同体は誰によって変わるのか
はじめに
前回はベトナム社会における日本文化の受容を例に、「共同体は異文化を丸ごと受け入れるのではなく、自らの文化を維持したまま「追加」する形で取り込んでいるのではないか」
という仮説を立ててみました。
また日本人女性のファッションや海外日本人社会を例に「みんな同じなのに、少しだけ違う」という「抜け駆け」の構造についても触れました。
これらの考察を踏まえて、今回はさらに問いを追い続けてみようと思います。
ちょっと抽象的ですが、
共同体は自らの内側だけで自然に変化していくのでしょうか?
それとも、その変化のきっかけとなる「誰か」が存在するのでしょうか?

この「誰か」の存在こそが、異文化受容を理解する上で重要な鍵になるのではないか。そんなぼんやりとした仮説が浮かびます。今回はその存在について、社会学で語られてきた「境界人(マージナル・マン)」という概念を手掛かりに考えてみたいと思います。
境界を生きるという「負荷」
筆者はベトナムで15年ほど生活しているのですが、そこでは日本とベトナムという二つの文化の境界で生きる人たちと出会う機会が少なくありません。
そうした人たちは、ある共通した立場に置かれています。
日本語を自在に操り日系企業で働くベトナム人は、日本人社会・日系ビジネス界隈では「優秀なベトナム人」として評価されます。
私がこれまで出会ってきた中には、一歩ベトナム人社会へ戻ると、「日本に染まりすぎた人」と見られる人もいました。
またベトナムに長く住む日本人。こうした人たちは日本社会の窮屈さから距離を置いたはずなのに、ベトナムでは図らずも「日本人らしさ」を背負わされ・期待されがちです。
どちらの共同体にも属している。
しかし、どちらにも完全には属していない。
境界に立っている。
この「居場所の曖昧さ」は、海外生活では決して珍しいものではありません。
社会学が見た「境界人」
このような存在については、社会学でも古くから議論されてきました。
ゲオルク・ジンメルは『よそ者(The Stranger)』の中で、「今日やってきて、明日も留まる者」を共同体の内部にいる特殊な存在として描きました。
共同体の内部にいながら、完全には同化していない。
その距離が、共同体を内側とは異なる視点から見ることを可能にします。
ロバート・パークは、このように二つの文化の境界で生きる人々を「マージナル・マン(境界人)」と呼びました。
彼らは葛藤を抱えます。
そうした葛藤こそが、新しい価値観を共同体へ持ち込む力にもなります。
境界人とは「翻訳者」である
この「境界人」という存在、もう少し実務的に考えてみますと、彼らは単に異文化を運ぶ人ではありません。
異文化を翻訳する人です。
共同体は、異質なものをそのまま受け入れることはできません。
境界人は、共同体Aが理解できる言葉へ、共同体Bの価値観を翻訳します。
これは、弊社Grasp!が毎日行っている仕事でもあります。
弊社の仕事は、求人票を求職者へ渡すことだけではありません。
日系企業という共同体と、ベトナム人求職者という共同体の、それぞれの「当たり前」を翻訳する仕事です。採用がうまくいかない原因は、能力不足だけでは決してありません。
多くの場合、
「翻訳されていない」
ことに問題があります。
そして、その翻訳を担うこともまた、私のような人材紹介会社の仕事といえます。
同じ日本語、同じ英語を使っていたとしても、背後の価値観や美意識は大抵同じではないのです。具体的には労働観やキャリアに対する志向が違うんですよね、日本語がペラペラでも。
共同体は境界から変わる
共同体は、自らの内側だけで変わるとは限りません。
一方で、外部から異なる価値観をそのまま持ち込んでも、簡単には受け入れられません。
その間に立つのが「境界人」です。
共同体を少しずつ変えていくのは、いつも「境界」に立つ人たちです。
彼らは共同体の論理を知ると同時に、外側から共同体を見ることもできます。
境界に立つことは楽ではありません。どちらにも属しているからこそ、どちらにも違和感を持つことがあります。
ただ、その違和感を持てること自体が、境界人の一つの役割なのだと思います。
次回予告
今回は、「共同体は誰によって変わるのか」という問いに対して、「境界人(マージナル・マン)」という存在を手掛かりに考えてきました。
しかし、実際の企業活動の現場では、「境界人」が存在するだけでは十分ではありません。
異なる共同体の価値観を理解し、お互いが受け入れられる形へ変換する「文化の翻訳」という営みが必要になります。
次回最終回は、日系企業とベトナム人求職者の間で実際に起きる「主体性」のズレを取り上げます。
同じ「主体性」という言葉を使っていても、双方が想像しているものは本当に同じなのか。
そこから、ハビトゥス(身体化された習慣や価値観)や現代社会における見えない境界線(第三のカラーライン)にも話を広げ、人材紹介という仕事を「文化の翻訳」という視点から考えてみます。
よくあるQ&A
Q1. 境界人(マージナル・マン)とは何ですか?
境界人(マージナル・マン)とは、異なる文化や共同体の境界に生きる人を捉える社会学上の概念です。ロバート・E・パークによって論じられ、二つの文化に関わりながら、そのどちらにも完全には同化しきれないことから生じる葛藤などが重要な特徴とされています。
Q2. 境界人はなぜ異文化受容において重要なのでしょうか?
異なる文化や共同体の価値観は、そのままでは相手に理解されないことがあります。二つの文化を知る境界人は、それぞれの「当たり前」の違いを理解し、相手が受け入れられる形へ翻訳する役割を果たすことがあります。本稿では、この「文化の翻訳」という役割に注目しています。
Q3. 海外で働く日本人や日本語を話すベトナム人も境界人ですか?
すべての人を一律に境界人と呼べるわけではありませんが、二つの文化や共同体の間に立ち、双方の価値観や習慣を理解しながら生活する人は、境界人的な立場に置かれることがあります。ベトナムの日系企業で働く日本語人材や、ベトナムで長く働く日本人にも、こうした立場にいる人がいます。
Q4. 人材紹介が「文化の翻訳」とはどういう意味ですか?
日系企業とベトナム人求職者では、同じ言葉を使っていても、その背景にある価値観や仕事観が異なることがあります。例えば「主体性」「責任感」「マネジメント」といった言葉でも、双方が想定している行動が同じとは限りません。人材紹介には求人情報を伝えるだけでなく、こうした「当たり前」の違いを理解し、双方に伝える役割があります。
【3回シリーズ】ベトナムから考える異文化受容
第2回|「境界人(マージナル・マン)」はなぜ必要なのか〜共同体は誰によって変わるのか
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