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【3回シリーズ】ベトナムから考える異文化理解③「文化の翻訳」とは何か〜日本人・ベトナム人の認識差、同じ言葉でも同じ意味とは限らない〜

更新日:8月18日


はじめに


前回は、共同体の境界に立つ人々について、「境界人(マージナル・マン)」という概念を手掛かりに考えてみました。

彼らは異文化をそのまま運ぶのではなく、共同体が受け入れられる形へ「翻訳する」存在でもあります。


では、この「翻訳」とはいったい何を翻訳するのでしょうか。

文字通りの「言葉」でしょうか?


同じ言語、例えば日本語や英語を使っていたとしても、背後の価値観や美意識まで一致す

るとは限らないんですよね。特に異文化が交差する場所では。

労働観やキャリアに対する考え方ひとつとっても、志向や方向性がそもそも違うんです、日本語がペラペラでも。

結局、言葉だけ翻訳していても足りないんですね。

人材紹介サービスに従事していると、そうした場面にたびたび出会います。


今回は、私たちが日々の採用支援の中で頻繁に出会う「主体性」という言葉を手掛かりに、ベトナムから考える異文化理解、そして日本人・ベトナム人の間にある認識差と「文化の翻訳」について考えてみたいと思います。


ベトナム・ムイネーに広がる砂丘。一般的なベトナムのイメージとは異なる風景から、異文化理解と日本人・ベトナム人の認識差を考える。
ベトナム・ムイネーに広がる砂丘。異文化理解と日本人・ベトナム人の認識差を考える。


「主体性がある人材」という、すれ違い


日系企業の求人票を見ていると、


・積極性

・自発性

・主体性


といった言葉を、よく目にします。


採用選考でも同じです。


・この候補者はSelf-Starterか?

・自己起点に動けるのか?


こういった言葉が使われます。


この「主体性」なる言い方、そもそも日本人とベトナム人の間で理解・認識のすれ違いが起きやすい言葉の一つです。誰の何に対する主体性?誰が何に対して主体的であるのか?どう主体的であるのか?どこまで主体的で、主体的に何をどうすればよいのか?が示されていません。

こうした、主語・述語の省略、管理・指示系統の言葉として非常に良く起こります。



日系企業の管理者・経営側が言う「主体性」には、例えばこんなものが含まれます。

管理者(上司)の意図を汲み、指示される前に動く。自分の担当範囲に限らず、次に何が必要なのかを考え、先回りして提案する。問題が起きたとき、自分なりの仮説を持って相談する。


一方、ベトナム人求職者と話していると、「主体性」を少し違う意味で捉えている人が少なくありません。

与えられた仕事を最後まで自分の力でやり遂げる、必要以上に上司へ頼らず、自分の責任範囲を確実に完遂する。任されたことに対して責任を持つ。


こうした一般論には、個人差・例外はあります。

ただし、日々企業や求職者と面談をしていると、こういうズレには実際によく出会います。どちらも主体的に動こうとはしているんです。ただ「自分から動く」の中身が違う。日本本社側や経営側が期待している動きと、本人が主体的だと考えている動きが、微妙にずれがあるんです。


ハビトゥスという、見えない土台


なぜ同じ言葉が、これほど違う意味を持つのでしょうか。

ここで一つ参考になるのが、社会学者ピエール・ブルデューが自身の社会学の中で発展させた「ハビトゥス」という概念です。ブルデューは『ディスタンクシオン』などでも、私たちの趣味や美意識、ものの見方が、個人だけで完結しているものではなく、社会的な環境と深く結びついていることを論じています。


ハビトゥスとは、かなり平たく言えば、育った環境や教育、所属してきた社会の中で身体化された習慣や感覚のようなものです。

何を自然だと感じるのか、どう振る舞うのが「ちゃんとしている」と感じるのか。

どういう人を「仕事ができる人」と評価するのか。

そうした判断は、必ずしも頭で一つひとつ考えているわけではありません。

長い時間をかけて身につき、当たり前になっていきます。


例えば、日本企業の中で評価されやすいのが「先回りする力」。

与えられた責任を最後までやり切ることを強く評価する、といった定義の仕方もあります。

どちらが優れているという話ではありません。

それぞれがその環境の中で育ててきた仕事上の美意識でもあります。

問題は面接という短い時間の中では、その違いがほとんど見えないことです。

同じ「主体性」という言葉を使っている。


候補者も「主体性があります」と答える。

面接官も「主体性のある人材がほしい」と言う。


言葉・字面は一致しています。

しかし実際には、両者が頭の中で想像している行動が違う。


「認識差」の領域。


ここで、もう一つ言葉を借りてみます。


NAACP(全米黒人地位向上協会)の創設者として知られる、アメリカ人社会学者W.E.B.デュボイスは、20世紀初頭の『黒人のたましい』の中で「20世紀の問題はカラーライン(color line)の問題である」と述べました。


デュボイスが問題にしたのは、人種によって社会を隔てる境界線です。


20世紀初頭のアメリカにおける人種差別と、現在の日系企業で起きている日本人とベトナム人の認識差を同列にはできませんが、人と人の間には、その人が立っている場所によって見えるものを分ける「線」が存在するという考え方には、異文化が交差する場所を考えるヒントがあります。


私たちが日々の採用支援の現場で出会う境界線は、肌の色でも、国籍でもありません。


話すスピード

相槌のタイミング

沈黙をどれだけ心地よく感じられるか


そして、「主体性」や「責任感」という言葉からどんな行動を想像するのか。

こうした、言葉になる手前の「振る舞いや認識の機微」によって誰も意図しないまま、その人と


「なんとなく合う」

「なんとなく合わない」


が決まってしまう。

デュボイスのいうカラーラインとはまったく別のものですが、もう一本、目には見えない線がそこにはあるように感じます。


仮にこれを「第三のカラーライン」と呼んでみます。


日本人・ベトナム人の認識差──「日本語ができる」だけでは越えられない境界


こうした見えない境界(「第三のカラーライン」)は、採用の入口だけにあるわけではありません。

入社後にもあらゆる場面に転がっています。


例えば、会議であまり発言しないスタッフを見て、「主体性がない、消極的だ」

と評価する管理者がいるかもしれません。

本人は、上司や周囲の発言を遮らないように、発言するタイミングを慎重に見ているだけかもしれない。


反対に、かなり率直に意見を言うスタッフを見て、「協調性がない」と感じる人もいます。

本人は、自分が任された仕事に責任を持つからこそ、必要なことを正直に伝えているのかもしれません。


面白いのは、こうしたズレが語学力の高い人でも起きうることなんですよね。

それなりに高い頻度で。

日本留学や日系企業での就業経験が何年もあり、日本語N1取得済み。

日本語ジョークまで言える。


それでも労働観やキャリア観、上下関係への感覚まで日本人と同じになるわけではありません。


これこそ日系企業向けの人材紹介サービスを提供するうえで、本質的に重要なところです。


語学力が高いほど、かえって、

「ここまで日本語ができるのだから、考え方もこちらと近いだろう」

という期待が生まれます。

しかし言葉が近いことと、価値観が近いことは別の話です。

むしろ日本語が流暢だからこそ、その違いが見えにくくなることすらあります。


日本語人材像やN1人材像に、その人特有のハビトゥスが含まれていないことによる、ある種の誤解です。


条件が合っていても、人は定着しない


人材採用では、どうしても分かりやすい条件が先に見られます。


・語学力

・経験年数

・給与

・役職

・業界経験


いずれも重要なのですが、これらが一致していても、入社後にうまくいくとは限りません。


・仕事観

・上司との距離観

・キャリア観

・どこまで自分で判断したいか

・どういう状態を「評価されている」と感じるか


こうした部分がずれていれば、時間が経つにつれて違和感が大きくなっていきます。

条件面だけを見れば「完全にマッチしている人材」なのに、数か月後には双方が、


「思っていた人と違った」

「思っていた会社と違った」

となる。


これは珍しいことではありませんが、果たして当事者同士でなにか変化があったのでしょうか?


もしかすると最初から違っていたものを、お互いが十分に理解できていなかっただけなのかもしれません。



人材紹介サービスとは、文化の翻訳なのか


採用がうまくいかない原因は、候補者の能力不足だけではありません。

多くの場合、「翻訳されていない」ことに問題があります。

また「何が翻訳されていないかに気づかない」というさらに厄介な問題。


「翻訳されていないことを翻訳する」だけでなく「翻訳すべき箇所を見つける

実は人材紹介サービスにはこうした機能も見出すことができます。

具体的には「主体性がない」といったニュアンスが評価された候補者について、その人がどのような環境で働き、何を仕事上の責任と考えているのかを企業側へ伝える。

「指示が細かすぎる」と感じている求職者に対して、なぜその会社が細かく確認するのか、その背景を説明する。

「もっと自分から動いてほしい」という企業側の言葉を、単にそのまま候補者へ伝えるのではなく、

具体的にどのような行動を求めているのかまでを言葉にする。

こういったことも人材紹介サービスの実務であり機能です。

「文化の翻訳」とでも言えますでしょうか。


私自身、人材紹介サービスを「企業が必要とする人を探し、その会社へ紹介する仕事」とみなしていた時期がありました。単純化するとそれも間違いではないんですけどね。


ただ、長く続けているうちにそれだけでは説明できないと感じるようになりました。

一個人と企業の間には、履歴書に書かれていない、求人票にも記載されない情報があります。

仕事観、価値観、美意識といった双方の認識上の当たり前です。


人材紹介サービスは一個人と企業の間に媒介者然として立ち、候補者の言葉を企業へ、企業の要求を候補者へ伝えます。

しかし、それだけなら情報伝達です。


実際にはその前段階にこそ本質があり、存在意義となります。

企業側も候補者側も、自分たちが何を「当たり前」と考えているのか、すべてを言葉にしているわけではありません。


・主体性がない

・指示が細かすぎる

・なんとなく合わない


そうした言葉の奥に何があるのか。

そもそも何を翻訳すればいいのか。その「原文」を探し当てることも、人材紹介サービスの仕事です。


そうした背景まで理解したうえで、


・この会社が言う主体性とは、こういう行動ですよ

・この候補者が言う責任感とは、こういう意味ですよ


と相手が認識・理解できる形に変えていく。

ここまでやって、ようやく「翻訳」です。


おわりに──境界に立つということ


3回にわたって「異文化受容」について書きました。

当初は、ベトナムに日本文化が入ってきても、なぜベトナム文化は失われないのか、そんなところから考え始めた話でした。

そこから「抜け駆け」「境界人」と話が進み、最後は人材紹介サービスの仕事とその価値・存在意義に戻ってきました。

今回「文化の翻訳」という言葉を使いましたが、実際の仕事はそれほど単純でもありません。


翻訳の原文がない中で、企業は「主体性のある人がほしい」と言い、求職者は「主体的に仕事をしています」と言う。

日本語としての間違いは特にないので、直訳だと間違いようがなく、間違いの存在にも気付けない。


「主体性」とはそもそもなに?という問い。

初めて双方が違うものを見ていたことに気付く問い。


語学力の問題ではなさそうだ、日本語がペラペラなのに、なにか見ているものが違いそうだ、という根源的な問い。


筆者はベトナムで人材紹介サービスに15年ほど従事していますが、結局こうした「言葉になっていないもの」を探す作業をずっとやってきたのかもしれません。

企業と求職者の間に立ち、何が違うのかを問う/探す。

企業自身もまだ言葉にできていなかった採用要件を一緒に探す。


結果的に「文化の翻訳」と定義されるものともいえますが、いわば「異文化理解」の理解です。

異文化を理解するというのは、相手の言葉を覚えることだけではない。

同じ言葉を使っているときにこそ、本当に同じものを見ているのかを疑ってみる。

今回、3回にわたって考え続けてきて、最後に残ったのはそんなことでした。




よくある質問(Q&A)


Q1. 日本人とベトナム人では「主体性」の捉え方に違いがありますか?

もちろん個人差はありますが、採用支援の現場では「主体性」という同じ言葉を使いながら、想定している行動が違う場面によく出会います。

日系企業の管理者・経営側では、上司の意図を汲んで指示される前に動く、担当範囲を越えて先回りして提案するといった行動を「主体性」と捉えることがあります。

一方、ベトナム人求職者では、任された仕事を自分の力で最後までやり遂げる、必要以上に上司へ頼らず責任を果たす、といった意味で捉えている人もいます。

同じ「主体性」でも、頭の中で想像している行動が同じとは限りません。


Q2. 日本語N1を持つベトナム人でも、日本人との認識差は生まれますか?

生まれることがあります。

日本語能力が高いことと、労働観、キャリア観、上下関係への感覚、仕事上の美意識まで日本人と同じであることは別の話です。

むしろ日本語が流暢であるほど、周囲に「これだけ日本語ができるなら、考え方も近いだろう」という期待が生まれ、違いが見えにくくなることすらあります。

同じ言葉を使えることと、同じ意味を共有していることは別です。


Q3. 異文化理解における「ハビトゥス」とは何ですか?

ハビトゥスは、社会学者ピエール・ブルデューが発展させた概念です。

かなり平たく言えば、育った環境や教育、所属してきた社会の中で身についた習慣や感覚のことです。

何を自然と感じるのか。どう振る舞うのが「ちゃんとしている」と感じるのか。どういう人を「仕事ができる」と評価するのか。

こうした違いは言葉そのものには現れにくいため、日本人とベトナム人が同じ日本語を使っていても、認識差が生まれる一つの背景になります。


Q4. 「文化の翻訳」とは、言語の翻訳と何が違うのでしょうか?

言語の翻訳は、日本語をベトナム語へ変えるように、すでに存在する「原文」を別の言語へ置き換えることができます。

しかし異文化間では、その原文自体が存在しない、あるいは本人も言葉にできていないことがあります。

例えば「主体性がない」「指示が細かすぎる」「なんとなく合わない」。

こうした言葉の奥にある仕事観や価値観を探し、何がずれているのかを言葉にして相手が理解できる形へ変える。本記事では、そうした営みを「文化の翻訳」と呼んでいます。


Q5. なぜ条件が合っている人材でも、採用後にミスマッチが起きるのでしょうか?

語学力、経験年数、給与、役職、業界経験などが一致していても、仕事に対する考え方まで一致しているとは限らないからです。

上司との距離、キャリアの考え方、どこまで自分で判断したいのか、何を「評価されている状態」と感じるのか。

こうした部分は履歴書や求人票には現れにくいものです。

「思っていた人と違った」「思っていた会社と違った」というミスマッチは、相手が変わったのではなく、最初から存在していた違いを双方が認識できていなかったという場合もあります。


Q6. 人材紹介サービスは、なぜ「文化の翻訳」と言えるのでしょうか?

人材紹介サービスは、求人情報や候補者情報を企業と求職者の間で伝えるだけの仕事ではありません。

例えば企業が求める「主体性」とは具体的にどんな行動なのか。候補者が語る「責任感」とは何を意味しているのか。

双方が自分でも言葉にできていない「当たり前」を探し、その違いを相手が認識・理解できる形にすることがあります。

つまり、翻訳するだけではなく、「何を翻訳すべきなのか」という原文を探すところから始まる。

そこに、異文化が交差する場所での人材紹介サービスの一つの機能があります。



【3回シリーズ】ベトナムから考える異文化受容

第3回|「文化の翻訳」とは何か〜同じ言葉を使っていても、同じ意味とは限らない〜



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